もう一つの仏教学・禅学
新大乗ー本来の仏教を考える会
禅と文学
遠藤周作年譜
遠藤周作年譜 (えんどうしゅうさく) [ ]年齢 主としてAを参照。
◇大正12年3月27日、東京巣鴨で誕生。父常久(安田銀行勤務)、母郁子(上野音楽学校ヴァイオリン科の学生)。
◇大正15年[ 3]父の転勤で、満州関東州、大連に移る。
◇昭和 8年[10]父母が離婚し、母と共に日本へ帰り、神戸に住む。伯母がカトリックの信者だったため、教会に連れていかれるようになり、無自覚に洗礼を受ける。
◇昭和18年[20]慶応大学文学部に入学。カトリック哲学者の吉満義彦が舎監をしていた学生寮に入る。
◇昭和23年[25]慶応大学文学部仏文科を卒業。
◇昭和24年[26]出版社鎌倉文庫の嘱託になったが、間もなく倒産。カトリック・ダイジェスト社で働く。
◇昭和25年[27]戦後最初の留学生として、フランスへ行く。リヨン大学に入学。
◇昭和28年[30]健康を害して入院。2月、帰国。
◇昭和29年[31]文化学院の講師。母死亡。
◇昭和30年[32]『白い人』(芥川賞受賞)
◇昭和31年[33]上智大学講師。
◇昭和32年[34]『海と毒薬』(新潮社文学賞、毎日出版文化賞)
◇昭和34年[36]フランスに行く。
◇昭和35年[37]帰国後、健康を害して入院。翌年、肺の手術を3回受ける。
◇昭和41年[43]『沈黙』(谷崎潤一郎賞)。この年から3年、成城大学講師。
◇昭和43年[45]劇団『樹座』をつくる。
◇昭和46年[48]『母なるもの』
◇昭和48年[50]『死海のほとり』『イエスの生涯』
◇昭和53年[55]『イエスの生涯』により国際ダグ・ハマーショルド賞。『キリストの誕生』(読売文学賞)◇昭和55年[57]『侍』(野間文学賞)
◇昭和58年[60]『私にとって神とは』
◇昭和60年[62]日本ペンクラブ会長。
◇昭和61年[63]『スキャンダル』
◇昭和63年[65]文化功労者。
◇平成 3年[68]『人生の同伴者』
◇平成 4年[69]『王の挽歌』
◇平成 5年[70]『深い河』(毎日芸術賞)
◇平成 7年[72]文化勲章を受ける。
◇平成 8年[73]9月29日死亡。
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